長井市 広報マンが写した半世紀3
昭和29年11月15日、長井市が誕生した。往時の広報マンが記録した写真が、ここ文教の杜に収蔵されている。コマ数にして2万枚。その中から昭和30年代の暮らしと町の風景を紹介します。
(提供:文教の杜ながい/長井市/小口昭氏)
■田下駄 耕運機で代かきをし田下駄で均し田植えをしている 子供が手伝うため田植え休みがあった
■共同炊事 農繁期のため豊田歌丸本郷地区では共同炊事がおこなわれた (昭和36年)
■託児所訪問 農繁期のため季節託児所を開設 市長さんがキャラメルをもって慰問にやってきた (昭和36年)
■木炭の出荷 暖房や炊事の燃料は薪炭が主だった これは炭の等級分けをしているところ
■造花づくり 致芳森地区では冬になると木で造花を作った 彼岸や盆の墓参りなどに手向けるのに使われた
■米の出荷 農協に集められた米俵 耕運機はその名のとおり耕したり運んだりと大活躍
■冬の堆肥運搬 雪消しの春が近づく頃堆肥運搬が始まる 屋敷の肥塚から牛橇で運ばれた 手伝いだろうか学生服の子供が一生懸命だ
■活字拾い 新聞書籍雑誌の文字は活版といわれる活字印刷だった しかしここ十数年活字は消えた
■金井神の箒づくり 一本一本が手づくりのこの作業は冬仕事 丈夫で長持ちが自慢とのこと (昭和35年頃)
■市章誕生 合併以来永年市章が無かったことから 長沼孝三氏が「私がつくってあげよう」と・・・・ (昭和38年10月)
■消防演習 長井小学校校庭での消防演習 脚半はなかなお目にかかれなくなった 左の建物は第一体操場
■移動健康診断 無医地区診療として検診車がやってきた バスへは桟橋を渡って乗り降り
■健康家庭表彰式 駅前の映画館を貸しきっての表彰式 健康優良児の赤ちゃんが表彰された時代 (昭和33年)
■木地山ダム完成祝賀会 野川第二発電所の完成ともに開催 会場は長井中学校体育館 (昭和36年10月)
■広報板 各地に広報板が設置された それまでは板塀電柱など そこかしこにビラを貼る慣わしだった
■選挙広報車 選挙で投票を呼びかける宣伝カー 椅子がのっているが横断幕がたれないよう引っ張っている
■市役所移動相談 電話や車の普及も進んでいない 担当者が地域を回って相談を受けた (昭和38年)
■NHK夏季移動相談 当時のラジオは数少ない娯楽の一つ うたのおばさん松田トシのステージ (昭和31年)
■春の売り出し 道路は乾いているのにみんな長靴をはいている 町中以外はまだ雪が (昭和35年)
■幼年クラブ 本屋の店前 この雑誌は大正14年講談社から刊行さ昭和33年3月で終刊したという
■大八車 行商でしょうかリヤカーの一つ昔の運搬車 ソリや荷車を専門に作る大工さんがいた
■入学式 晴れて一年生 ランドセルのほかにズック入れというのがあった 胸には大きな名札が 奥の建物は長井保健所 (昭和33年4月4日)
■子ども会 豊田羽黒公民館で日頃お世話になった親を招き 劇や踊りで感謝する会が開かれた (昭和36年3月)
■舟場の奴振り 小出皇大神社の祭礼に奉納 舟運でいろんな文化も移入された
■パレード この時代祝賀パレードや仮装行列が盛んに行われた 中央十字路
■公益質屋 急なお金を用立てるための衣類や貴金属など 質入するところがあった (昭和35年12月)
■唐傘の寄贈 森分校に傘が寄贈された 傘には持ち主とかの文字が大きく墨書きされていた (昭和35年10月)
■桂谷分校 野川ダムの西にあった分校 林業木地師などを業としていた (昭和37年)
■写真展示 中央公民館(旧郡会議事堂)で芸術祭が開催された 天井が高い (昭和39年)
■芸術祭 長井文化協会の公演部門の発表会 譜面を懐中電灯で照らしている 長井小学校体操場 (昭和36年11月)
■横森スキー場 初めてスキー大会が開かれた八ヶ森(5年前)よりスタイルも洗練されてきた ロープ塔なんてものはまだない (昭和36年)
■つつじ公園 遠くでバレーボール大会が開かれている 当時催事には貴重な広場だった 中央の建物は演芸館 その東に弓道場があった (昭和31年5月)
■交通整理 中央十字路で水道工事だろうか 後ろには山形交通のバスの運転手が
■ゴミ箱 木製のゴミ箱が作られた これから各地区へ配られるところ 野川辺にゴミ焼却炉が
■早春水郷の景 雲雀が鳴きこれから新緑を迎える 好い季節どこにでもあった風景だが