長井まち歩き物語1 長井市立長井小学校 第一校舎 木造校舎
山形県長井市。それは、水と緑と花の奥座敷・・・・・
ゆっくりと まちなみに ふれてみませんか・・・・・
魅力あふれる 深い建物を醸し出す風景に 足を運んで下さい
(資料:長井市史、神奈川大学工学部建築学科 西和夫 長井市歴史建造物調査報告書、文教の杜)
長井市立長井小学校第一校舎 木造校舎
長井小学校は、市内6校のうち最大規模の小学校です。少し長井小学校の歴史に触れてみましょう。
現在の長井小学校第一校舎
4回も建て替え 火災にも
明治5年の区学校を始まりに、啓蒙学校、小出小学校・宮小学校と経て、明治15年に小出小学校と宮小学校を統合して「平章学校」となりました。これが長井小学校の前身です。最初は、現在の長井駅前通りの中村循環器科医院あたりにありました。その後、鉄道敷設によって長井駅が大正3年に開設されましたが、駅から東へ新道を切ることになり校舎を移転させることなります。大正4年5月に竣工した第2期の小学校の場所は中央十字路東のココス付近。ところがその2年後の大正6年5月23日に大火にあい、全焼してしまいます。
昭和8年に現在の場所に開校
建設当初は田圃の中。樹木も少ない。
そして昭和8年、現在の場所に長井町立尋常高等小学校としてスタートするわけです。「長井小学校」と改称されたのは昭和22年。当時現在の第一校舎と同じ木造校舎が3棟並んでいたが第2校舎が昭和45年に、第3校舎が昭和47年にコンクリート造に改築されました。第一校舎は昭和60年から平成元年にかけて改修、外観や内装は当初からほとんど変わらず残っています。規模も大きく意匠も優れ、昭和初期の木造校舎はたいへん貴重です。
現役の木造校舎は数少ない
校舎は、二階建てで平入(建物棟の正面に入り口がある)、切妻造、桟瓦葺き、瓦は赤瓦、一部黒瓦、正面及び東西両端に妻を見せる階段室の張り出しがあります。建築面積は1157平方メートル。全国的に見ても、現役の木造校舎は数が少なく、登録有形文化財として平成21年1月22日に指定されました。
玄関入口部
玄関入口の二階部
校舎に係る年表
明治15年 第一期の小学校創設 宮と小出両村統合の校舎を新築 初めは「宮小出学校」 次に「平章(へいしょう)学校」と改めた
大正元年の地図 中央の長井学校 その西にまだ長井駅がない
明治43年の絵葉書 第一期の校舎が正面に 右側には私立置賜盲学校が
明治20年 小学校令により「長井高等尋常小学校」と改名
明治25年 小学校令により」長井尋常高等小学校」と改名
明治38年4月 実業補習学校が附設された
5回の増築があった
大正2年 東京鉄道局長井軽便鉄道の敷設が始まり、小学校の後ろ(西側へ)八十間の距離に長井駅が設けられることとなり、学校前面の県道の東に3400余坪を買い上げ、大正3年5月起工、翌4年5月に竣工、第二期の校舎ができた。3万8千余円の建設費
大正3年の地図 長井駅ができる 校舎は現本町通りを東に越えて建設
第二期の小学校正面
大正6年5月23日 大火により、第二期の校舎が消失。応急措置として、遍照寺、織物同業組合等11カ所で分散授業。同年同所に、校舎を一部新築
大正7年〜8年 同場所に建坪801坪、総経費8万1千円余で新築。第三期校舎。以降、木造2階建て96坪 の教室を増築
第三期の校舎 火災で第二期校舎が焼失したため、いち早い建設を 大正11年当時の写真 長井市史から複写
第二期の校舎建設中の写真 長井市史から複写
児童数の増加により、校舎・グラウンド等の新設を余儀なくされる。現在の場所に第四期の校舎を整備。現在の場所に
昭和7年11月30日 敷地土盛工事
昭和7年12月26日 校舎増築地地鎮祭を行う
昭和8年2月7日 校舎増築工事入札。遠藤茂助と請負契約
昭和8年5月30日 校舎上棟式
昭和8年8月22日 校舎一棟竣工
昭和8年9月8日 校舎移転改築工事入札。青木儀蔵落札請負
昭和8年 新築第一校舎落成
昭和9年6月30日 工事竣工
昭和16年 国民学校と改名
昭和22年 長井小学校と改名