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2014 フィルム講座 歓迎ゲート編

2014  フィルム講座 歓迎ゲート編:画像

このシリーズは、2014年に文化生涯学習課主催において講座開催時に紹介したもの。前出のものと重複するところがあるがご容赦願いたい。なお、その後判明したデータを追加した。

 

過去、長井には多くの歓迎ゲートや歓迎門、歓迎塔がありました。判明しているものを掲載、以下追加の写真も掲載。

 

…弘羆愕業歓迎門  大正3年11月15日

 

 

長井軽便鉄道が長井まで開通し長井駅が開業した。大正3年のこと相当大きな歓迎門である。これが、今確認できる一番古いもの。

 

長井駅前歓迎門  昭和10年

 

これまでも、何回も登場した写真。風俗的にも面白い。

1、「あやめ団子」の看板(右中)  このころには、あやめ団子があった。しかし、今のような形ではなく、まったくの別物。元祖としては、松屋さんがおみやげコンテストのようなイベントで優秀な成績をおさめたのが、この「あやめ団子」で、再現されれば面白い。
2、長井駅(奥)  現在の長井駅舎は昭和11年築で、写真の駅舎は大正3年築のもの。開業当時の駅舎はその後、大正14年3月に拡張し、大正15年には乗降所の上屋を建てている。駅舎入口も変更されている。
3、駅前道路  長井で初めて舗装された道路。昭和8年6月4日のことで、道路脇に照明灯があるが、「すずらん燈」と呼ばれ、舗装工事と同時に設置された。
4、菊水館(中央)  大正12年にオープンした映画館。
5、長井商工会(右・門の右)  長井商工会は、明治43年4月2日に結成。その後、法施行前に昭和30年4月16日創設、法施行後は昭和35年9月12日に発足した。長井商工会議所となるのは、昭和50年の4月1日を待つこととなる。
6、道路にセンターラインがない  初めて信号機が設置された場所は、中央十字路。当時は山交十字路と言っていた。それも昭和37年9月1日。まだまだ車社会になるには年月を要した。人は右、車は左。今は当然のことだが、昭和23年8月にGHQから勧告があり、その後、人も車も左から現在のようになった。写真は昭和10年だから、人が左側を歩いていることは、当時は正しかった。

 

1愾梓新泪押璽 昭和26年5月

 

 

ゲートの奥に長井駅が写る。昭和11年に改築された今の駅舎が写っている。仰々しいが、張りぼてっぽい。

 

っ羆十字路(山交十字路)歓迎ゲート 昭和30年6月

 

あやめまつりの間に合いように作られた。

 

 

昭和33年の写真。消防署の火の見櫓から撮影されたもの。このゲートは昭和35年まで確認されている。

 

ゴ新泪押璽  昭和30年〜昭和38年 写真は昭和35年5月

このゲートから鉄骨造となった。昭和30年、市制施行1周年の記念パレード(11月)の写真に。昭和37年9月の「中央十字路に信号機」にも写っている。

上記写真は、長井駅前通りを長井駅に向かって撮影されたもの。歓迎アーチは、長井年表では昭和30年6月とされている。長井市となったのは、昭和29年11月15日、翌年には整備された。アーチ上部にある章は、市章のデザインと考えられるが、昭和30年、その際公募で審査、賞まで決定したが正式採用とはならなかった。市章は昭和38年10月17日に制定され、長沼孝三氏がデザインした。

このデザインは〇(丸)が六つ、これは長井町・長井村・西根村・平野村・伊佐沢村・豊田村が合併、それぞれの町と村を表している。中央には「長」の文字。デザインされた方は、芳文社にお勤めの大沼喜三郎氏だった。

昭和38年2月5日発行市報に鳥瞰写真で写っているのが、確認できる最後の写真。しかし、アーチには酒の銘柄があるが、市内の醸造元ではない。なぜ? 実は、この面は裏側なもだ。長井駅から降りてくる方々に対しての歓迎アーチだった。それでは裏側をみてみよう。

 

Υ新泪押璽般觀 長井駅からみたゲート

 

こちらが正面の写真。地元の銘柄が写っている。当時は鉄道で来る観光客主体だったことがよくわかる。また、この明かりはネオンで、不具合がでると、ラジオに雑音が入ると商工課に連絡が入った。このゲートが確認できるのが昭和38年2月まで。

 

Т新泪押璽伐造  昭和38年〜

 

このゲートは、昭和38年9月30日発行の市報で確認できる。同じ年の8月16日には初めての「長井まつり」が行われた。鉄骨部分を利用し頂上のマークもそのまま。

 

昭和42年撮影の写真。長井駅側から撮影されている。これが、ゲートが確認できる最後の写真。残念ながら、最終年は確認できていない。

 

┫新淌  昭和34年〜

 

 

昭和34年の写真。長井駅前の道路、ど真ん中に歓迎塔を設置、観光のPRと歓迎を目的とした看板だ。長井駅を降りると、この風景画飛び込んでくる。現在は、歩道ができた事を加えると道路幅は当時と同じだが、広く見える。右側手前には、三階建ての和泉屋旅館、左側奥には菊水館(映画館)が見える。道路奥には歓迎ゲートがうっすらと映しこまれている。それにしても、空の広さは昔の特徴だろうか。
左側の電柱には映画上映の宣伝板。それには、3種類の映画ポスターが貼られているが、そのうちの1種類が判明。それは「網走番外地」。昭和34年に公開された第一作で、主演に小高雄二、浅丘ルリ子で日活の作品。この写真も昭和34年に撮影したものとわかる。
上部に立体のデザインがなされ、「歓迎」「長井のつつじまつり」のPR、その下には「長井市・長井市観光協会・長井市商工会」の文字が横書きに並べられている。また上部からワイヤーが両サイドに下がり、国旗等の掲揚に使用されていた。歓迎の文字の上には、長井市章の前身の「〇が六つに長の文字」のマークが掲出されている。

 

 

歓迎塔は、長井線廃止反対や各催しの周知にも広く利用されていた。

 

 

 

 

2015.01.28:[歴史的建造物]
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