長井の幕開け 最上川舟運8
小出村、宮村がいかに元禄7年(1694)の宮舟場が開設されることによって変貌していくかがわかる資料がある。邑鑑によると舟場開設前の元和初年(1615)のデータを次に記載する。
宮村 小出村
石高 1350石6斗5升 1610石4斗
家数 113戸 89戸
人数 567人 491人
この数字はけして大きくない。上小松村は246戸、大塚村は123戸、梨郷村は129戸、鮎貝村は137戸、寺泉村は121戸である。しかし、舟場開設の78年後、安永元年(1772)では飛躍的に小出・宮の両村が伸びているのだ。小出村が307戸・1715人、宮村は241戸・1224人と倍増以上の数字を示している。
元禄の頃までは、宮村は十日町・川原町・坊中・新町・大町・新屋敷の六町があったが、舟場開設後には舟町が形成され、田端・横町・水上ができ、その後宮原・中道が。小出村は、舟場開設以前は粡町・本町・大巻・新舘の4町があり、開設後には片田・川原・四ツ谷が成立、その後金井神・花作・台が形成された。
いかに、元禄7年の舟場開設によって、現在の長井の元が形成されたかわかる資料である。
最上川舟運によって大変貌を遂げていった長井。200年余りの間、富と情報が蓄えられ、明治以降は他地域に先駆けて郡役所の創建、養蚕から織物業へ、そして大正3年には鉄道が敷設される。同時に、電気会社を設立するなど時代に対応した発展を続けてきた。
次回からは、それ以降の建造物や出来事を年譜のスタイルで示し、長井の変貌を記載することとする。
明治11年に建てられた西置賜郡役所
明治14年に建てられた長井警察署
明治22年に建てられた西置賜郡会事義堂
2016.01.22:[歴史的建造物]